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サラリーマン必見!上司へ噛みつく江本孟紀の破天荒なしくじりとは?!

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若い世代にはあまり馴染みはないが、江本孟紀というプロ野球選手を知っていますか?

1970年から1981年という今から35年以上前に活躍したプロ野球選手です。
東映フライヤーズ、内海ホークス、阪神タイガースを渡り歩き、1981年に現役を引退しています。

その後は「プロ野球を10倍楽しく見る方法」という著書(有名)で200万部というとてつもない売り上げを上げてベストセラー作家となる。
プロ野球解説者や俳優などのタレント活動を経て、1992年には参議院議員選挙に出馬し見事当選。

その江本氏がしくじり先生としてテレビに出演して話した教訓が、サラリーマンには必見だと思ったので、紹介させて頂きます。
 

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南海時代 野村監督に嫌われる

東映フライヤーズにドラフト外で入団した江本は、初年度活躍が出来なくて1勝もできずにいたが、南海ホークスの選手兼監督の野村克也が江本の才能を見抜き、トレードで南海に入団させる。

そこで、野村は江本の才能ばかりか負けん気の強い性格も見抜き、褒めて伸ばす人心掌握術で、見事江本は次の年16勝をあげ大活躍を果たす。

良い指導者の条件 「部下の競争心を上手に煽る」

しかし、基本が生意気な江本は、序々に野村監督との関係も悪化していき、野村監督のプライベートな問題に対して文句を言うと(当時の野村の愛人のちの野村沙知代を公然批判)次の日、「旅に出てこい」と言われ、トレードに出される。

「上司のプライベートを突いてはいけない」

上司に可愛がれ、何でも言い合えるいい関係を築いていたとしても、プライベートのことをイジるのは絶対にしてはいけないとのこと。

阪神タイガース時代 暴言で大騒動

江夏豊等とのトレードで、1976年に阪神に移籍。エースとして活躍するも、江本は当時監督の中西太の優柔不断な采配に不満を募らせていた。

ある年のキャンプ中に、投手の練習している隣でバッティング練習が始まり、江本は危険やからやめてくれと注意するも、受け入れられず、結果として投手の一人に打球が当たり、負傷してしまう事件があった。江本は練習後、監督の部屋に怒鳴り込みに行き、散々暴言を吐いた上、監督にたばことライターを投げつけた。

起用法などにも不満があった江本は、監督の一番何に腹が立っていたか?

それは、「理由を説明してくれなかった」ということだという。

毎年毎年、先発なのかリリーフなのか中継ぎなのかなどを一切シーズン前に話してくれなかったという。

そんな不信感を募らせていた状態であの事件は起こる。

1981年のヤクルト戦で、ピンチの江本はマウンド上からベンチの指示を仰ぐ。すると、監督はベンチにいない。中西はピンチになるとベンチから消える癖があったらしい。

それにキレた江本は「ベンチがアホやから!野球がでけん!」と暴言。翌日の新聞などで大々的に報じられ、監督批判としてバッシングを受け、翌日退団を申し出る。

江本からすると、試合の大事な采配場面で監督がベンチにいないなんて、勝敗の責任を逃れたいだけ、という気持ちがあったのだろう。

もともとズカズカしている江本と優柔普段の中西は馬が合わなかったのだろう。

ここで江本が得た教訓がちょっとした名言かもしれない。

「嫌いという思いは、必ず両想いになる」

そして、そんな人間関係の縺れから、プロ野球選手人生を自ら終了させたことについて、

「仕事を捨ててまで言うほどの怒りなのか?最後にもう一度考えてみよう!」

という教訓を得たと言っている。
 

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最後に

人間関係が上手くできずに、夢であったプロ野球選手という職業さえも捨ててしまった江本の、苦い経験から得た教訓がこちら。

「嫌いな上司ほど、自分から挨拶にいこう」

 

嫌いな上司に限らず、嫌いな人には向かっていく。避けてはいけないということでしょう。

ちなみに、江本は現在は野村克也、中西太とも良好な関係を築いている。

阪神への移籍の際にトレード相手であった江夏豊とも、江本を格下に見ていた江夏に対して口撃をするなど、関係は最悪であったが、その後和解し、江夏が覚せい剤取り締まり法で逮捕された際には、情状陳述を行い、深い友情をみせた。
 

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