今田耕司、指原莉乃の司会の番組「土曜あるある晩餐会」。
6月3日放送回のゲストは「バブル期に天下を獲ったMCたち」。
山田邦子、ヒロミ、渡辺徹、渡辺正行、徳光和夫、生島ヒロシが出演して同時のテレビ業界を振り返った。
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渡辺徹 ギャラ3億円の仕事オファーがあった?!
人気絶頂の渡辺徹にとんでもないギャラでの仕事のオファーがあったという。
内容は新婚ホヤホヤだった夫婦での司会だったという。渡辺は仕事もプライベートもごちゃごちゃになるし、照れくさいんですいません、と断るが、プロデュ―サーも諦めない。
p 「徹さん、住宅ローンっていくら残ってますか?」
徹 「三億円ぐらいですかね」
p 「全部持ちます!」
テレビ番組の司会業でギャラ3億円?!ちょっと想像つかない話である。しかし当時若くて粋がっていたと自らを振り返る渡辺は、
徹 「金だけの為にやってんじゃねぇ!」
3億円のオファーを断ったという。
しかし、あれから数十年が経った今、「本当にやっとけばよかった」と大後悔しているという。
豪快だったバラエティ番組!
バラエティ番組へのお金の賭け方も尋常ではなかったという。
ヒロミが出演していた「オールナイトフジ」は深夜の枠であったが、ニューヨークロケなども普通にあったという。芸能人の水泳大会などもハワイでロケがあったり、刑事ドラマでも犯人が海外へ逃亡するシナリオが組み込まれて、遊びメインの海外ロケがよくあったという。
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ダウンタウンVS関東芸人
ここで今田も当時を振り返る。
今田 「当時ぼくはダウンタウンさんと一緒やったじゃないですか。ずっとスタジオでこもって次のコントどうするとか楽屋で朝まで話し合ったり。そんな時にテレビつけたらヒロミさんがハワイで「イェーイ!!」ってやってるから。羨ましくて!」
ヒロミ 「真逆だったよね。そっちは『面白いことを考える』こっちは『楽しいことを考える』って感じで。同じフジテレビでも班が違って。東京のバラエティってただ単純に楽しいことを考える番組だった。だからとんねるずがバブルの象徴だったよね。」
当時はタレントがプロデューサーに抱えられていて、他のプロデューサーの番組には出られないというテレビ業界暗黙のルールがあったという。昭和の映画界の5社協定のようなものでしょう。
当時の芸能界で一番モテたのは?!
バブル期の芸能界の恋愛事情を一番知っていたと言われるのが山田邦子。
当時、山田邦子は恋のキューピットとしてよくひょうきん族の芸人さんに女性を紹介したという。
邦子 「紹介するときはいいんだけど、分かれるときが面倒。さんまちゃんの時とかほんと面倒だった」
ひょうきん族のメンバーでは、ビートだけしが一番モテたという。
アイドルで一番モテたのは西田ひかる。
デビュー当時は歌もやっていた俳優Eも西田ひかるにアプローチしていたという。(俳優Eはおそらく江口洋介)
こういったイニシャルトークをやり始めたのは山田邦子らしい。
男性で一番モテたのは真田広之だったという。その他は東幹久。柳葉敏郎など。
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国民的アスリートkの恋愛事情
その当時人気絶頂で、今も現役アスリートの当時の恋愛事情も山田邦子が暴露。
今も現役のアスリートKとくれば、キングカズ以外いません。
そのKがそのころ2人の女性のどっちを選ぶかで悩んでいたところを邦子に相談があったという。
女性2人はSとT。邦子は幼馴染にしなさいとアドバイスしたという。KはSを選んで結婚。とくればsは設楽りさ子、Tは田中律子となってくる。
これは簡単なイニシャルトークでしたね。
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